小日向かなではかなり困っていた。

普段幼なじみには呑気と言われるかなでだが、今度ばかりは真面目に困っていた。

というのも。

「ねえ、いいじゃん。説明会は終わったんだしさあ。」

「いえ、全然良くないんですけど・・・・」

かなり全身から困ってますというオーラを出しているはずなのに一向に引く気配のない男子生徒に、かなではため息をついた。

これが神南とか至誠館の生徒なら助けの求めようもあるのだけれど、残念ながら目の前のナンパ男の制服に見覚えはない。

全国大会には色んな学校が参加するから気をつけろと言っていた律の言葉が今更ながらよくわかった。

(あの時は音楽の大会で危険なんてないよなんて笑ってごめん、律くん。)

かなでは心の底から律に謝った。

もっとも今謝ってもすでに警告としては役立たずになってしまってはいるが。

「部の用事はすんだんでしょ?」

「はあ・・・・」

こないだの失礼な記者といい、自分はどうしてこういうのに引っかかりやすいんだとうか、と密かに凹みかかっていたかなではここでもうっかり素直に頷いてしまった。

途端にナンパ男が勢いづく。

「それなら問題ないよな!俺が案内してやるよ。」

「え、ちょっ!」

ちょっと待って!というより先にナンパ男がかなでの腕を掴んだ。

「っ!」

ぞっと嫌悪感から来る震えがかなでの背中を駆け上がった。

本能的な怯えからきた震えなのに、それをどうとったのかナンパ男がニヤニヤ笑う。

「震えてるんだ。可愛いね。」

新や大地に言われるとちょっとくすぐったくなる言葉も今は信じられない程耳障りの悪い響きにしか聞こえない。

(全然嬉しくないから!早く離して!)

切実に心の底からそう叫んだものの、ファイナルを前にしている時に力尽くで腕を振り払ったりして怪我でもしたらと思うとそれも出来ず。

近くを見回すが、各校の生徒でざわざわしているロビーの一角で男子と女子が話している姿など珍しくもないせいか、誰もかなでの危機に気が付いているような人は見あたらなかった。

万事休す ―― と、思ったその時だった。














「先輩の手を離して下さい。」















静かに、けれど凜とした声がみなとみらいホールの雑踏を切り裂いた。

その声が耳に届いた瞬間、かなでは涙が出るほどほっとした。

急いで振り返って声の主を確かめる。

「ハルくん!!」

背後に立っていた金色の髪の少年を見てかなでは嬉しそうに声を上げた。

その声に、悠人はわずかにかなでに視線をずらして大丈夫です、というように小さく頷いてみせる。

そんな小さなやりとりが気にくわなかったのか、ナンパ男が悠人を睨み付けた。

「なんだよ、お前。」

あからさまに敵意持った声にかなでは思わずびくっとしたが、悠人が動じる事は微塵もなかった。

睨むでもなくその視線をひたと青いそれで突き刺す。

「先輩の手を離せ、と言ったはずだ。」

繰り返された言葉は先ほどより鋭く響いた。

声を荒げたわけでもないのに、にじみ出るような怒りを感じさせてかなででさえ一瞬ひやりとする。

普段大地や響也と口論している時とはまるで違った冷たい怒りだった。

当然、それを真っ直ぐに向けられた男はたまったものではなかったのだろう。

喉の奥で引きつった声を出した、と思った時、腕を掴んでいた力が緩んだ。

(今なら!)

咄嗟にかなでは男の腕を振り払って悠人の背中へ逃げ込んだ。

「大丈夫ですか?」

「うん、平気。」

かなでの返事を確認して、やっと悠人はほっとしたように息を吐いた。

そして今や完全に固まってしまっているナンパ男にもう一度、斬りつけるような視線を向けた。

「どこの生徒かは知りませんが、二度とこの人に手を出そうなんて思わないでください。次は」

言葉を切って悠人はかなでを護るように背中に隠して言った。

「こんなものではすみませんから。」

「うっ・・・・」

悠人の影で顔は見えなかったが、僅かに聞こえた呻き声で相手が気圧されているのがわかった。

けれど言うなり相手に一瞥もくれず悠人は振り返って言った。

「行きましょう、先輩。」

「うん。」

もちろんナンパ男には何の未練もないので大きく頷いたかなでの手を当たり前のように悠人が取る。

その温かさにさっき、感じた気持ち悪さが解けていくような気がして、かなではやっと強ばっていた体が動くようになったのを感じた。

そしてフリーズしているナンパ男を放置して、とっととその場を後にした。















「本当に目を離すと危ない人ですね、先輩は!」

「はは・・・・」

ナンパ男からかなでを助け出してくれたナイトは、空調のきいたロビーから真夏の空気の中に出る頃にはいつもの口うるさい後輩に戻っていた。

「響也先輩が用事があると言って先に帰ったと聞いたから嫌な予感がしたんです。なんで誰も一緒にいないんですか!」

「えーっと、たまたまみんな用事があるって言うから・・・・」

夏休み中だし説明会自体終われば流れ解散なのだからかなでが一人でいたって別になんの不思議もないはず、ではあるのだが悠人は大きくため息をついた。

「部長に言われていませんでしたか?色んな学校の生徒がいるから気をつけろって。」

「・・・・はい・・・・」

これに関してはまったく反論の余地がないかなでとしてはシュンっと小さくならざるをえない。

「だって実家の方でナンパなんかされたことなかったし・・・・」

ナンパというのはほとんどマンガの架空用語だと思っていたかなでにとっては律の警告も人ごとだったのだ。

「大地先輩みたいな人もいるし。」

つくづく都会というのはすごい。

はあぁ、とどこか感心したように呟いてしまうかなでに、ずんずん前を歩いていた悠人が大きなため息とともに振り返った。

「そういう問題じゃありません!先輩は警戒心が足りないんです!」

「・・・・はい・・・・」

再び反省。

これもまた言い返そうにも言い返せない。

「まったく、戻ってきたら案の定からまれてるなんて。」

「うう、ごめんなさい。」

ますます小さくなるかなでに、ややあって悠人は大きく息を吐いた。

「まあ、あの生徒も不謹慎きわまりない奴でしたから。」

「うん。」

それにはかなでも大きく頷いた。

「全国大会の会場だっていうのに、ナンパなんてね!」

憤りと共にかなでが言った言葉への返事は。

「は?」

意外にもきょとんっとしたものだった。

「違います!それだけじゃないでしょう!

「え?」

(何か違うの?)

真面目な悠人の事だからあんなに怒ったのもきっとそのせいに違いないと思ったのに、肩すかしをくらったかなでは首をかしげる。

その表情に「ああ、もう!」と焦れったそうな声を上げて、悠人は言った。

「あいつ、先輩の腕を触ったんですよ!?それも無遠慮に!あんなに先輩が困ってるのに!」

「へ・・・・?」

その悠人の言葉と勢いにかなでは思わず目を丸くしてしまった。

が、しかし悠人の方は何かスイッチが入ってしまったようで。

「ああ、もう、本当に腹が立つ!あんな奴に先輩が触られたなんて腸が煮えくりかえります!大会中でなかったら天誅をくだしてやったのにっっ!!」

イライラと、まだそこにナンパ男の姿を見るようにみなとみらいのロビーの扉を睨み付ける悠人をかなではぽかんっと見上げて。

(えーっと・・・・これって、その・・・・)

もしかして・・・・否、もしかしなくても、さっきの悠人の怒りっぷりはかなでが知らない男に触れられて怯えていたのを怒ってくれたのだろうか。

てっきり大会会場で不埒(?)な行為に及んでいた生徒への怒りであんなに怒っていたとばかり思っていたかなでは、どうもそれが思い違いだったことに気が付いて。

気が付いて。

「・・・・・・〜〜〜〜〜〜っ」

かあっと体中の血が頬へ集まったのではないかと思うような感覚に思わず空いている片手でかなでは顔を覆った。

(ど、どうしようっ。)

嬉しい、とか恥ずかしいとか、色んな感情が一緒くたになって心の悲鳴に凝縮された。

「先輩?」

「な、な、な、なんでもないっ!」

かなでの行動を不審に思ったのか悠人に覗き込まれて、かなでは慌てて首を横に振った。

いや、なんでもなくは全然ないのだが、説明など絶対できない。

だからなんとか誤魔化そうとしてかなでは、すっかり言い忘れている言葉を引っ張り出した。

「助けてくれてありがとう、ハルくん。すごく格好良かったよ!」

「なっ!?」

かなでのセリフに悠人はぎょっとしたようにのけぞって。

「何を言っているんですか!帰りますよ!」

「はーい。」

あからさまに照れ隠しとわかるぶっきらぼうな言葉に応えながら、かなではこっそりつないだままの手に力を入れた。















The young prince and the princess










((どうしよう、どこで離せばいいかわからない!))















                                                 〜 Fin 〜
















― あとがき ―
今回のテーマ「ナンパ男を撃退するハル」。
ハルはかなでちゃんを護るためなら殺気の一つや二つ出してくれると思う。

タイトルはコルサコフの交響詩「シェヘラザード」第3曲より。イメージでつけてみました。